北広島町在住のクリエイターmanboがビール片手にだらだら書く自己中な日記です。
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生きていると、いろんな思いが交差しているわけです。

こないだ、表参道でキースへリング展を観て、
今更ながらに刺激をいただき、いまだに余韻に浸っている…
ほら、平素、低刺激に生きてるから。
なんでも刺激的なわけですよ。
NYを拠点とし、キースのアートが世界中にばらまかれていたころ、
私は子供だったけど、よく知っていた。
なにしろオサレな雑誌からダサい洋服屋まで、キースざんまいだったので。

31歳で、エイズでこの世を去った天才アーティストを
ファンは折に触れて思い出すわけで。
ありとあらゆるムーブメントの中で、つい、
キースが生きていたら…と。
私だって、うちの母が生きていたら、喜んだだろうな、とか、
めっちゃキレただろうな、とか、
毎日思いますもんね。

不登校の子どもをもつお母さんは、
通学中の子どもたちを見ると、
うちの子も学校に行っていたら、
あんな風に笑ってただろうに…と、
思うって言ってました。

思われる人と思う人。
ここには永遠に交わらないであろう、
ナイル川のような隔たりがあって、
思う人は頼まれもしないのに痛烈に思うし、
思われる人は全く持って無関心なわけです。

双方にはなんの化学反応も生まれず。
思う人の一方通行。
普通、思い、というのは、なんらかの化学反応を起こすのが世の常なんだが、
この手のケースは、完全に個。
個にはじまり、個に終わる、自己完結型、思い。
なのに、フィクションでは作れないくらい
ズシッと痛かったり、苦しかったり、やるせない。
そんなことになんの意味があるのだろうか、
いや、これが、命の営みってことなのか。
まあ、とにかく、生きてるって、
知らず知らずに他人に重い影響を与えていて、
そんでまたぐるぐる廻る…こんなことなんですね。




関西空港で寝なきゃいけない人へ。






モヤモヤする夜におすすめの、これ。
終戦記念日に、長文。
軍国主義な教科書はもちろんダメだけど、




7月27日から8月13日までの、旅の感想。
もしも、例えば、使い捨てカイロのように、
必要な時に一つ、使わなければならないだとしたら、
今回の旅で、私の「げんなり」は使い切ってしまった、
そんな旅でした・・・
いや、楽しいことも、たくさんあったんですよ。
でも、なんでだろう、もう、自分の鈍臭さに「げんなり」が止まらない。
これぞ「ノンストップげんなり」。

どんな日々かというと、
脳内チーフA:誰の許可でどんどん出してんだ!
「げんなり」の受注ストップっつっただろうが!
脳内バイトB:す、すみません!
脳内スタッフC:もう間に合わない、生産元に急遽追加発注だ!
という日々でした。

帰りのバスの中で、なぜこんなに「げんなり」が
多発したのか、振り返ってみたんです。
私は物心ついた頃から鈍臭く、
それについてはこれと言って、変わったことはなく、
なのに、なぜ今更そんなに「げんなり」を発動する事態に至ったのか。
ふむー。

脳内有識者A:それこそが、成長というものだと思います。
脳内有識者B:いや、何も変化のない日々の中で何を根拠に成長と言えるのですか。
脳内有識者C:今回の旅でいつもと違うところといえば、
連れ合いの存在ではないでしょうか。
他者を通して自身を俯瞰的に見ることができたのではないでしょうか。
脳内有識者D:確かに。他者への状況説明などを通して、
強制的にアウトプットすることで、相対的な見解へとつながり、
それが「げんなり」多発を引き起こしたと仮定されます。
はあー、なるほどー。
それはあるかもー。
でもなんで「げんなり」なんだろう。
他にも適切な言葉はあるだろうに。

いつも、普通に鈍臭いんです、私より鈍臭い人に、
まだ出会ったことがありません、ということを、
自分も含めて数人の先輩、友人、親戚からも言わせるほど、
病的に鈍臭いんです。
それはもう、お祓いとか行った方がいいレベルで。
でもいつも。
まあ、私だからね、いかにもやりそうだわ。
むしろ今までやってなかったことがすごいわ。
こうすれば失敗するってわかったから、次はああしてみよう。
…くらいで、次に進んでしまうんです。
で、ビール飲んで笑い話にして、寝たら忘れる。
たまに思い出してまたネタにする、そんな毎日だったんです。
しかし今回は、N氏(10)が同伴だったので、
どうしても、やらかしそうな、あるいはやらかしたことに対して、
状況説明(および開示)をする必要があり、
普通に引かれるその反応に、あ、やっぱり結構やばいレベルだよね、と、
その都度、緊急脳内反省会が開催されてしまっていたのです。

あ、わかった。
わかってしまった。
そう、結局、何が嫌って、
この「脳内反省会」なんですね。
反省は必要だけどもさー。
そこに、エネルギー使ったら、
思考を前に進めるエネルギーなくなっちゃうよねー。
暗闇を手探りで進むような旅の途中で立ち往生。
それはまさに、敗北を意味するものである。
で、国家を揺るがす未曾有の事態を切り抜けるため、
脳内推進派が対策として打ち出したのが、
この「げんなり」キャンペーンだったのではないかと。
まあ、いつの時代においても、国のやることは、
一見不合理に見え、ただひたすらに国家を守ることのみに
突き進んでいるわけであります。
すごいよねー。

さて。
そもそも「げんなり」とは何か。
それは一見、謙虚なようで、タチの悪い被害妄想ではないかと。
以下はたとえ話ですが、想像してみてください。
セミの大合唱の中、人のごった返す原宿で、
1時間並んで、話題のクレープをやっと買ったところで、
「ちょっと持っててね」と、あなたの最も近しい人間に渡したら、
一瞬で落とし、そこをスケーターがスケボーで踏んで
過ぎ去って行くシーンを。
そこでもし、落としたあなたの近しい人が、
一言、「げんなり」と言ったら。
怖い。
もう、ホラーです。
そう「げんなり」は、絶対に口にだしてはいけないワードなのです。
渦中にある人は、心の中で使う言葉なんですね。
しかも、先ほどの恐怖と共に体感できたと思うのですが、
「げんなり」には自分は悪くない、というような、
非常に小賢しい言葉なのです。
要するに、事態における呵責の念からさらりと抜け出す魔法の言葉、
それこそが「げんなり」だったのであります。

つまるところ、この「げんなり」キャンペーンは、
頻繁な緊急脳内反省会によりアイデンティティの崩壊を防ぐために、
「げんなり」を多発させ二次災害を水際で防ぎ、
我が国の敗北を勝利へと導いた、
完璧なキャンペーンであったのです。
ふう・・・
キャンペーンの起因については、
また、追い追い・・涙



