北広島町のmanboの自己中な日記です。
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流行りの春バテ?やれやれ。




ぶらり東京旅行の感想。

本当に大事なものは、目で見たり、耳で聞いたり、触ったりできないんだって、
「星の王子様」が言ってまして、
私にとってそれは、大げさに言うなら
大事な時に自分に言い聞かせている言葉です。
目で見たこと、耳で聞いたことなどを、
不確かにするのは自分自身で、
頭の中で全部バーチャルにしてしまう。
とても厄介です。

年末から、いやしかしなんだか何もかもバーチャルだなあと思いながら、
自分の身の回りのこと、自分の考えていることに辟易としておりました。
何を考えていても、一周回って、
ハイハイ、それはもうバーチャルです、
と、思考回路が辟易とするのです。
なので、真面目に考えている頭はふてくされるし、
いろんな問題に落とし所がなく繋がらず、
脳内地盤沈下があちこちで炸裂。

ですが。
その「バーチャル」と感じる腑に落ちない感覚を、
自分の考えの指針として大事にしようと努力しておりましたら、
今回の旅で少し、光が見えたようです。

自営業で、私という人間を受け入れてくださる、懐の深いみなさまと、
ある意味、社会的僻地で生息しているゆえ、
この旅でお世話になった方々、
出会った方々から多くの刺激をいただき、
旅に出る前から消化できなかった、その、
「バーチャル」という感覚に感触を感じることができ、
抱えていた自分への不具合や仕事の問題も、
殊の外スッキリしてきました。
よし、もいっちょ頑張ろう。と、
さらに一歩踏み出せそうな気がしています。

まあ、実際は私の感じる問題なんて、
やってることがみじんこサイズの活動なので
他の人から見たら見えないような些細なことです。
しかし。
永遠に続くような大きな課題も、
誰にも理解されないような些細な不安も、
今の自分が、どうしたいのか、何を願うのか。
それが、わからないのが一番問題。
今は、今で、これから先は、これから先。
過ぎたことは、過ぎたこと。

もし「誰か」を見て、憧れるのなら、それを願えばいい。
でも、それは、あくまでも「誰か」の願いの結果にすぎず、
実は自分の「これから」に当てはまるものである必要はなく。
もし、憧れる「誰か」のようになりたいのなら、
いつかその「誰か」のようになることを望む前に、
その「誰か」が培ってきた願いを、まず自分が望む作業が大前提としてある。
でも、自分自身がいつかはその「誰か」のようにはなりたいけれど、
その「誰か」が過ぎた時間に願い努力してきたことを、
今の自分が無意味だと感じるのであれば
そこに向けて、強い思いを持って努力できないわけで、
今の自分が無意味だと思っていることに向けて、
努力をして、その「誰か」のようになることって、
どこからきた思想で、誰のための人生?
自分の魂は叫ぶだろうな。
「どうゆう了見でい!」って。

ああ、まさにバーチャルだった。
と、やっと、自分の中のバーチャルの姿を発見しまして、
まあ、まだまだ、バーチャルだらけなんでしょうけど、
今回は、いろいろ思うようにいかずくたびれたりしましたが、
帰ってきてからは気持ちが軽くなり、
「おかえり」と迎えてくださった皆様の笑顔に
なんとも言えない至福感の溢れた、そんな旅でしたとさ。




1年ぶりの東京の桜〜!
きのこ嫌いのための調理法。




気になる身体のこと、ときにはプロにお尋ねしましょう。

「あ、これ、腸炎だね、薬飲んだらすぐ治るから真面目に飲んでね」
と言われたのはアレルギーの注射をしてもらいに行ったときのこと。
その日は夜中じゅう寒気がしていて、朝起きても猛烈にだるく熱っぽく、
手のひらは熱く足は寒いという状況でした。
で、まあ、1日の予定がかつかつで、
そこに無理やりアレルギーの注射の予定を入れてたので、
血肉に相談せず早朝より動いておりました。
で、、診察中に最近どう?と病院で聞かれたので、
そういえば、不調です、今。風邪ですかね。
と伝えると、ちょっとお腹触るよ。ここ痛い?ここは?ここは?うん、腸炎だね。
となったのです。
触診って説得力あるなー!って感動しつつ、
さらに、12月から肌荒れも治んなくって。
というと、じっと顔を見て、「あ、スギ花粉だね。薬飲まなきゃ治んないよ」と。
12月から飛びはじめるそうです、スギ花粉っちゅーもんは。
そして血液検査の結果はまあいいんだけど、少しだけ中性脂肪が高めだね、
気をつけるレベルではないけどね、と言われました。
腸炎ってなに?中性脂肪ってなんで高くなるの?
などと思案しつつ、帰路につき。
風邪ではなく、腸炎。肌荒れではなく、スギ花粉。
スペシャリストの見解はすごい。
間違ってるかもしれないけど、でも言い切るところがすごい。
普段、馬車馬のように働いておりますので健康のことに
あまり気にかけていられないのですが、
だからこそ、家族共々、薬は飲まず、食事には気を使ってます。
で、セルフケアでは週に1回は体育館で汗を流す、
あと、月に一回の鍼、リンパマッサージ、
時々、先述しましたアレルギーの注射。
鍼の先生には眼精疲労から来る耳のメンテナンスと、
自律神経のケアを中心にお願いしてまして、いつも、
する前は、今日はそれほどでもないんですけどね、と思っているのですが、
終わってみたらすんごい視界が明るくなるし、首がぐるぐる回るし、
ブランニューワールド感炸裂です。
和洋折衷ですが、どの先生ともいつもプライベートな話をしてまして、
メンターと言っても過言ではない存在です。
この診察から少しして、リンパの先生の予約の日がきたので、
グイグイやってもらいつつ
「中性脂肪が高めって言われたんですよ、いつも粗食なのに」
と言うと、「肝臓と腎臓の働きが弱ると内臓に脂肪がつきやすくなるから、
疲れすぎないように気をつけないとね。」と。
中性脂肪に必要なのは、粗食ではなく、休息…とドライデイ。


ネメスで食育。と、食に関わるデザインワーク一部紹介。




田舎の町内のお仕事。
100回試みて1000回改めつつ、町の決まりも変えていかなくちゃね。
亡き母への思いと、中華食レポ。2本同時開催。

「おばあちゃんは今プールに飛び込んで遊んでるよ、
めっちゃイメージできるわー」
と、高校生の息子がご飯を食べつつウキウキと話す。
私もよく思うんだけど「母さんは体がなくなった今が一番似合ってるなあ」と。
生きてる時は、あちこち痛かったり重かったり、苦労してたから。
なんだかよくわからないのだが、
母が死んで、ジメジメと泣いてばかりいて、
「誰でも3ヶ月は寂しいものよ」とたくさんの先輩方に慰められ。
ある日「あ、3ヶ月、たった」と、気がついて、
運転中だったんだけど目の前に鮮やかな夕焼けが広がっていて、
「ちゃんと向き合って、いろいろ仕切り直して来てよかった」
と、今まで、思ってもなかったことが湧き上がってきた。
寂しい気持ちは思った以上にねっとりとこびりついて、
予想以上に時間を費やしてしまうけど。

それにしたって私のこの状況。
呆れてものも言えないよ、
早く自分のやることを全力でやりなはれって声が心に響いて、
はてと、我に返り、感謝の気持ちも湧いてきたりして、
それでもまあ、物理的にさみしいので、
この感情は、自分の人生の宝だなあと、相変わらず思ってて、今、ここ。
人には、悲しみを知り得られる深みが必要なのだ。

…と、ここら辺から、目からウロコと言うか、
屈折していたいろんなことが、すっきりと見えて来て、
それは意味がない、そこが問題じゃない、と言われ続けたことが、
自分にとって意味があったと気がついて、とてもラクになった。
そうか、実は、そこに意味があったんだ。
だから他の人と共感できなかったんだって。
でも、それは誰にでも当てはまるものではなく、
結局は「必要」も「不要」も、自分で決めること。
そこのジャッジを間違えると、どんなに頑張っても、成功しても、
ずっと虚しさがつきまとう。
私にとって必要なものは、隣の人にとっては不要なものなんだろう。
それは、みんな、役割に応じて違うんだと思う。

他にも、わかったことがあって、
それは、時間。
時は金なり。
時間はかけがえのないもの。
ずっとそう思ってきたけど、それは違った。

問題は、時間じゃないんだって気がついた。
時間は、一見平等に見えるけど、それは違う。
一人の人が生きられる時間は限られていて、
どんなに大事なものを大切にしても、
持ち主がいなくなれば、すべてゴミ。
大事にしていたお財布や、書類や、パスポートや、ハンコや、
いろんなものが、主人がこの世からいなくなると、ゴミになる。
だからこそ時間はかけがえのないもの。
そう思っていたし、母が死んでしまうとわかってから、
より一層、そう思ってきた。
けど、違った。

大事なのは、時間じゃない。
生きている間に、何を感じるのか。
どれだけ、喜ぶのか。
よく思い出すけど、母はモルヒネでぼんやりしだしてからも、
「今日はずっとお料理してるのよ、マサオにいろいろ食べさせたくて」
と、ひとりで笑って話していた。
母は、確かに喜んでいた。
現実か、真実か、幻覚か、夢か。
それらはすごく重要な違いだけど、
生きている間は喜ぶべきじゃないのかな。
最後の時になって、自分が何もできなくなっても、
喜んだ記憶は、自分の中から湧き上がってくる。
生きているからこそ味わえる、喜びが、
確かにそこにあって、人は、一人で生まれてきて、
一人で旅立つんだなあって、教えてくれる。
夢の中で喜んだって、
その人にとって「嬉しい」と言う事実が確かにそこにある。
大事なのは時間じゃなくて個人が何をどう感じるのか、
ってことなんじゃないか。
私たちは生まれた時から、いつか死ぬって、
リミッターをかけられてたから、
どうしても時間が一番大事だと思ってしまう。
あることにはとても感謝しなくちゃいけないけど、
平等なようで、平等ではないし、
概念の変動は激しく、常に流動的で、
あると思っていたらなくて、
ないと思っていたらある、そんなもの。
人が喜ぶこと、何を感じて何を思うかは、それよりもずっと崇高.。




manbo家事件簿、雛人形編。



