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北広島町在住のクリエイターmanboがビール片手にだらだら書く自己中な日記です。


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全てのことに意味があるかもしれないよ。

全てのことに意味があるかもしれないよ。_e0115516_23053030.jpg
たまに、私こんな風に育てられたんです、と、
とても悲しい幼少期の話を聞くことがある。

目の前のその人が、小さな子供に見えてきて、とても辛くなる。
なんて言ったらいいか、わからない。


大人が子供や自分よりも立場の下の人に対して、

えこひいきをしてしまったり、暴力を振るってしまったり、

嫉妬心を燃やしてしまったりするのは、

まさに大人気ないと思うけど、そうゆう時の勢いって、

本人にも抑えられない病的なものだ。


もちろん、中には本意でやってる人もいるんだろうけど、

それはごくわずかではないかと。


その手の大人のほとんどからは、

傍目に見てても止められない衝動を感じる。


しんどいだろうと思うし、人に、それも、

守るべき小さき者に悪態をついて、どんな言い訳をしようとも

許されるはずはなく。


逃れようのない焦燥感がさらに本人を追い詰めて行く。


いじわるされたり嫉妬されたりどうでもいいことされたりした人は、

本当は、恨んだりその人の不幸を願ったりする必要は、

ことさらにないと思う。


かわいそうな人間なんだから。


むしろ、少しでもやすらぎのある時間が、

その人におとづれることを願ってあげるのが、

お互いにとってウィンウィンではないかと。

全てのことに意味があるかもしれないよ。_e0115516_21010251.jpg

優しい人は、みんな、痛みを知っている人。

自分の経験から学んだことを土台にして人に優しく生きてる。


しかしながら逆のケースもある。


ただ、サディスティックな行動の全てが、

過去のトラウマだけではないことは確か。



ホロコーストを淡々と描いたドキュメント小説「夜と霧」の著者フランクルは、

アウシュビッツから帰還した残りの精神科医人生を、

同じく生き残った同胞のために使った。


生き残ったユダヤ人たちは、堪え難いトラウマにより、

恨みを晴らすためだけに、サディスティックに生きていた。


フランクルはロゴセラピーという心理療法を確立した巨匠。

「生きる意味」持つことで、どのような苦難でも

強く生きて行くことができるようになる、

そのための「生きる意味」を充実させるためのプログラム。


「夜と霧」の中でも彼はなんども死にかけている。

しかし生き残る。


猛烈な苦痛の中、頭の中では自分がたくさんの群衆の前で、

今のこの体験を生々しく語っているシーンを描き続ける。


彼が激しい虐待の中、精神が崩壊しなかったのは、

このように常に自分が今受けている体験を

アウトプットしていたからだといわれている。


さらにそれは、自分が生き残るための意味にもなっていた。

「この経験を、次世代に伝える」という、役割。

全てのことに意味があるかもしれないよ。_e0115516_17362446.jpg
かたりべさんの塩冶さんと。

そう。


生きている限り人には役割というものがあると思う。

どんなシーンでも自分の役割に気がつけば、そこには居場所ができて、

自分らしく活き活きと過ごすことができる。


与えられるどのような経験も、

役割を担うために神に与えられた試練なのだと、

クリスチャンホームだった我が家では子供の頃から教えられてきた。


責任などではなく、命に割り振られた、役割。


それは後付けだ、結果論だ、という考え方もある。


どう考えようと、大事なのは本人の主観であって、

それより大事なものはないのではないか。


乗り越えがたい辛い出来事を、神からの試練と思うことも、

最悪だと、恨むことも、自分が決めること。


そんなことを思う時、いつもこの映画を思い出す。


フィクションは、なんのためにあるのか。

生きるためにある。



こないだ。


人に貸してあげたかったから急いで斜め読みしていた

松田先生の本が返ってきたので、せっせと読みふけっていたら、

ここんとこもやもやしていたことがスッキリするような一文を発見した。


ていうか、それ以外にも本当にサクサクくる松田節炸裂なので、

全民に読んで欲しいんだけど、その一文ってのが、

元英語教師の先生の師が、講演会で言ったこと。


「国語能力の低下とともに、

自国文化への理解度も低下し古典を遠ざけることで

先人の精神を知らずに育つために心が未熟なままとな理、

そして言語力の下地がないがために、英語力の伸育にも限界が出ている」

と。


命の先端を自分が走っているということ、

生きていることの意味を知るということ、

そのためには、古典から漢字なども含めた自国文化を知ることが

必須だと。

先人の苦悩や知恵を知ることなしに、次の学びはないと。


ちなみにその本はこちらでゲットできまっせ!


とにかく。


私の大事な人たちは、トラウマを糧に恨みを膨らまし、

悪魔に魂を売らないでほしい。


「旅人よ、計画通り行かないことがたくさんある」


役割を見つけて充足感の中で生きてほしいと、

切に願う、夏の終わりであります。



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by manboblog | 2018-08-27 17:45 | 日々のつぶやき